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| 論述模範解答 |
2009年度
第1問
次の文章は日本国憲法第二十条である。
第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
この条文に見られるような政治と宗教の関係についての考えは、18世紀後半以降、アメリカやフランスにおける革命を経て、しだいに世界の多くの国々で力をもつようになった。
それ以前の時期、世界各地の政治権力は、その支配領域内の宗教・宗派とそれらに属する人々をどのように取り扱っていたか。18世紀前半までの西ヨーロッパ、西アジア、東アジアにおける具体的な実例を挙げ、この3つの地域の特徴を比較して、解答欄(イ)に20行以内(600字)で論じなさい。その際に、次の7つの語句を必ず一度は用い、その語句に下線を付しなさい。
ジズヤ ミッレト 首長法 理藩院 ダライ=ラマ
領邦教会制 ナントの王令廃止
《期間》18世紀前半まで
《主題》三地域における政治権力の宗教に対する取り扱いの比較
西ヨーロッパ 不寛容
西アジア 寛容
東アジア 条件付きで寛容
A
概して、西ヨーロッパは政治権力が宗教的権威を利用し、他宗教や少数宗派には不寛容であった。古代ローマ帝国はキリスト教を公認・国教化し、それに伴い政治権力が公会議を主催し教義を統一させ異端を追放した。近世においては、主権国家の形成の手段として宗教は利用された。テューダー朝は首長法により教皇権威を排除し聖俗両権を獲得した。ルイ14世もナントの王令廃止でユグノーを追放し、王権とカトリックによるフランス統合を目指した。アウグスブルクの宗教和議やウェストファリア条約では、諸侯・都市単位での宗教選択となり、領邦教会制が成立した。また、宗教に対する不寛容は大規模な宗教戦争を引き起こした。西アジアにおいては、イスラムを例にあげる。まず、イスラム国家の権力は、コーランとシャリーアに制限されるので、政教一致、若しくは宗教が政治を取り扱っていると言える。また、概して、イスラム国家は他宗教や少数宗派に比較的寛容であった。ジズヤの支払いで個人の信仰の自由は保障され、オスマン治下では宗教別共同体ミッレトも存在していた。概して、東アジアの政治権力は儒教・仏教・道教等の宗教を利用するが、他宗教・他宗派への弾圧は三武一宗の法難等の例外もあるが、少ないと言える。清代においても、理藩院で周辺民族は自治を許され、その宗教・風習は尊重された。具体例として、チベットにおけるダライ=ラマを中心とした神権政治があげられる。
(596字 数字2文字で1マス)
論述模範解答 東大へ
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