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論述模範解答

東大
2010年度


1問

 ヨーロッパ大陸のライン川・マース川のデルタ地帯をふくむ低地地方は、中世から現代まで歴史的に重要な役割をはたしてきた。この地方では早くから都市と産業が発達し、内陸と海域をむすぶ交易が展開した。このうち16世紀末に連邦として成立したオランダ(ネーデルラント)は、ヨーロッパの経済や文化の中心となったので、多くの人材が集まり、また海外に進出した。近代のオランダは植民地主義の国でもあった。
 このようなオランダおよびオランダ系の人びとの世界史における役割について、中世末から、国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望のなかで、論述しなさい。解答は解答欄(イ)に20行以内で記し、かならず以下の8つの語句を一度は用い、その語句に下線を付しなさい。

グロティウス コーヒー 太平洋戦争 長崎 ニューヨーク
ハプスブルク家 マーストリヒト条約 南アフリカ戦争

 


ゆげが解く前に考えたこと…

恐らく、他の予備校は
ニューヨークを、オランダ覇権喪失で使う。
 
恐らく、他の予備校は
南アフリカ戦争は、オランダ系移民の抵抗による、英国覇権の衰退で書く。

自分はあえて、それを避け、下記の解答を準備する。
他の予備校との違いを出したい。



 
【ゆげ作成の模範解答】

ハプスブルク家に対するカルヴァン派主体の独立戦争により、当時としては珍しい商工業者主体の共和政国家、ネーデルランド連邦共和国が成立した。この新興国家は、17世紀前半、世界初の株式会社、オランダ東印会社を生み、欧州唯一の対日通商国として長崎に出入りし、アンボイナ事件で香辛料貿易をほぼ独占し、世界覇権を獲得した。その後の覇権が、英米と推移することを考えると、蘭国の世界制覇はカルヴァン派による世界支配の始まりと言える。オランダで発達した世界金融も、覇権の推移通り、ロンドン、ニューヨークへと移っていく。カトリックの影響が薄いオランダが生み出したグロティウスは蘭国擁護の『海洋自由論』や『戦争と平和の法』を著し、主権国家体制や自然法思想を大きく進展させ、国際法の父と呼ばれた。しかし、一方で自然権思想への矛盾もあった。蘭領東印度はコーヒー等の商品作物の強制栽培により飢餓輸出を起こしたし、太平洋戦争後もインドネシアの独立を蘭国は認めず、独立戦争に至った。また、1899年開始の南アフリカ戦争後も、オランダ系移民はその優位を維持するアパルトヘイトを長期に渡って存続させた。だが、オランダは再び光をもたらす。二度の大戦を経験し民族主義に懐疑的になった欧州は、ベネルクス三国の親密性やその根底にある自然法思想を再評価し、ECSCを創設・発展させ、マーストリヒト条約によりコスモポリタニズム的なEU結成に至った。

以上

597マス・文字…数字は二文字で1マス扱い)


 
…問題に対する考察…


主題は「オランダ・オランダ人の世界史における役割」


以下は、かなり単純化。(東大の問題って、いかに世界史を単純化するかって話だから…)

 

役割その1

今日の商業・金融の基礎を築いた役割(オランダの資本主義・覇権主義) 

… ハプスブルク家から独立し

… カルヴァン派により建国→資本主義

… 長崎 ニューヨーク

 

役割その2

主権国家体制を築いた。(オランダの理性)

… グロティウス


 

役割その3

自然法思想はEUへと繋がった。(オランダの理性) 

… グロティウス


… マーストリヒト条約

「オランダは再び光をもたらす。」啓蒙思想(自然権思想)を意識した。技巧に凝ったわけではない。

啓蒙=enlightenment
 

… しかし、一方で



役割その4

列強としての支配(オランダの反理性・民族主義的なエゴ)

… コーヒー等の強制栽培制度

… 太平洋戦争後も植民地主義に固執

… 南アフリカ戦争後のアパルトヘイト







〈 他の予備校の解答に関して 〉


河合塾の解答は、比較的良くできていると思った。

具体的には、

主題である「オランダの世界史における役割」について、

ちゃんと記述がある。

 

例えば、

「株式会社制度や国債発行などの金融財政システムも、名誉革命後のイギリスに継承された。」

「コーヒーやサトウキビ栽培などの植民地経営を開始し、ヨーロッパ植民地主義の先駆となった。」

 

ちゃんと役割を書いている。

 

河合塾の解答

http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/10/t01.html  より引用
           ↓     ↓    ↓
中世末にバルト海交易に進出したオランダは、近世にかけてエルベ川以東の穀物を西欧へ供給し、東欧を従属下に置いた。16世紀後半にはハプスブルク家に対し独立戦争を行い、旧教に対する新教の宗教戦争を先導し、新教徒の商工業者や文化人を吸収した。独立後はバタヴィア、台湾、長崎を拠点に香辛料貿易とアジア域内貿易に参入し、大西洋交易にも進出してニューヨークの原型を建設するなど商業覇権を確立した。アムステルダムは国際商業・金融の中心となり、この時期にグロティウスは海洋の自由を主張し、三十年戦争に際し国際法を提唱して主権国家体制を秩序づけた。商業覇権は、航海法の制定や英蘭戦争など重商主義により台頭したイギリスに移った。株式会社制度や国債発行などの金融財政システムも、名誉革命後のイギリスに継承された。17世紀末以後のオランダは、東南アジアの諸島部でコーヒーやサトウキビ栽培などの植民地経営を開始し、ヨーロッパの植民地主義の先駆となった。アフリカ南部のブーア人国家は南アフリカ戦争でイギリスに併合されたが、これを機にイギリスが光栄ある孤立を放棄したことは、第一次世界大戦に向かう同盟外交の契機となった。オランダの植民地帝国は、太平洋戦争でインドネシアを日本に占領された後、戦後の民族独立運動により解体に向かった。こうしたなか主権を超克する欧州統合に当初から参画したオランダは、マーストリヒト条約の調印の場となった。


このタイプの問題の解答って、下手すれば、オランダがやったことをただ並べてしまうことになりかねない。ゆげも気をつけねば…

 

それと、ゆげの解答への駄目出しメールを待っています。

本人の許可があれば、その駄目出しメールは、HPに載せますね。

 



2問

 アジア各地には古くからそれぞれ独自の知の体系が発展し、それらを支える知識人たちも存在した。そして16世紀以降ヨーロッパの知識・学問に接するようになるなかで、それらは次第に変容していった。アジア諸地域における知識・学問や知識人の活動に関する以下の3つの設問に答えなさい。解答は、解答欄(口)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。
 

(1) 読書人などとよばれた中国前近代の知識人にとって儒学と詩文は必須の教養であった。これらはいずれも漢代までの知的営為の集積を背後にもつ。この集積は時として想起され、現代に至るまでその時々の中国社会に大きな影響を与えることがあった。以下の(a)・(b)の問いに冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a)それまで複数の有力な思想の一つにすぎなかった儒学が、他の思想とは異なる特別な地位を与えられたのは前漢半ばであった。そのきっかけとなった出来事について2行以内で説明しなさい。

 

ほとんどの予備校は、董仲舒から書いているが、ゆげは呉楚七国の乱から書くべきだと思う。



A
景帝が呉楚七国の乱を鎮圧した結果、武帝の代に中央集権が進み、官吏登用の必要性から、董仲舒が儒学の官学化を献策した。(57文字)

 



(b)唐代に入ると詩文には様々な変化が起こった。文章については唐代中期以降、漢代以前に戻ろうとする復古的な気運が生まれた。唐代におけるその気運について2行以内で説明しなさい。



A
四六駢儷体等、技巧に走りすぎた作風を否定し、司馬遷の『史記』の様な力強い散文への回帰が韓愈・柳宗元により求められた。(58文字)

 



(2) 14世紀半ば、東アジアは元の衰退にともない一時的に混乱した。しかし、1368年に明が建国されると、再び新たな安定の時期を迎え、知識人たちも活発に活動した。1392年に成立した朝鮮(李氏朝鮮)も、明の諸制度を取り入れながら繁栄し、知識人による文化事業が盛んにおこなわれた。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a)最15世紀前半の朝鮮でなされた特徴的な文化事業について2行以内で説明しなさい。


 
A
銅活字の印刷が行われ、その過程から、庶民のために、極めて合理的な訓民正音が世宗により制定された。(48文字)

 

 

(b)明の末期になると、中国の知識人たちは、イエズス会宣教師がもたらしたヨーロッパの科学技術に強い関心を示した。その代表的な人物である徐光啓の活動について2行以内で説明しなさい。
 

 
A
イエズス会を積極的に受け入れ、マテオ=リッチと『幾何原本』、アダム=シャールと『崇禎暦書』、自身は『農政全書』を著した。(60文字)



 

(3) 18世紀後半以降、ヨーロッパの侵略や圧力にさらされるようになると、アジアの知識人は自国の文化の再生や政治・経済の再建を目指して改革運動をはじめた。かれらは、ヨーロッパの知識を吸収しつつ近代化・西欧化を推進しようとするグループと逆に伝統の本来の姿を復活させようとするグループとに分かれて論争し合い、政治運動も展開した。これらの改革運動に関する以下の(a)~(c)の問いに、冒頭に(a)~(c)を付して答えなさい。

(a) 西アジアのアラビア半島ではワッハーブ派が勢力を拡大した。この運動について3行以内で説明しなさい。

 

 
A
聖者崇拝やスーフィズムを否定した原理主義運動。ワッハーブ派はオスマン帝国からの独立に、二度、挫折したが、最終的にサウード家と英国支援により、サウジアラビアの建国に至った。(85文字)



 
 
(c) 中国では、曾国藩・李鴻章などの官僚グループが洋務運動とよばれる改革を進めた。この運動の性格について3行以内で説明しなさい。
 

 
A
同治中興期に、漢人官僚が主体となり、「中体西用」の精神の下、主に軍事・産業等の技術面の西欧化を図り、政治体制・思想等は維持された特徴を持つ。その限界性は清仏・日清戦争に表れた。(88文字)

 



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