富永亜斗夢(とみながあとむ)

富永の姉を某塾で指導し、その姉経由で、ゆげ塾へ。父親が当時珍しかった育児休暇まで取って育てあげた富永は、心地よい変人へと成長した。今後が少し心配。
高校名 
杉並学院高等学校 特進
※石川遼のいる学校
合格校 
中央大学法学部政治学科(進学)
日本大学法学部政治経済学科
国学院大学法学部法律学科法律専攻
不合格校 
中央大学法学部法律学科
明治大学法学部

左・郷坪(筑波)/右・富永。郷坪は中学時代からの富永の友人。富永の紹介でゆげ塾へ。一足先に、現役で筑波へ。中学時代からの仲であるその二人の会話は馬鹿兄弟なみ。
センターの点数 
【現役】
英語100 国語100 世界史87
※記憶があいまいで、細かい数字は覚えてないが、だいたいこれくらいだったと思う。この時期からほぼあきらめていて、浪人したいとすら思っていた。
【浪人】
英語155 国語(現代文) 92 世界史90
※面倒臭かったので、世界史、国語は一切対策しなかった。センター利用も出願しなかったが、センターリサーチで立命館法学部がA判定だったので、出願すればよかった、と後悔。

富永合格に駆けつけた1期生郷坪と亀井(明学・国際)。この後、亀井を巡って、決闘が行われた。
現役の時の結果 
浪人するつもりだったので、自分の行きたいところだけ受けて、散った。
資格・特技・部活・委員会活動など 
英検3級 漢検準2級

亀井からの合格祝いのケーキ。
高校での成績 
評定平均3.4 学校の成績は特進クラスで下の方だった
模試の成績 
【現役】
第一回河合塾全統マーク模試
英語56.2 国語36.4 世界史52.1
6月進研模試
英語57.5 国語46.8 世界史64.0
※データがあるもののみ。
記憶が不確かだが、中央法はずっとE判定だったはず。早慶はむろんMARCHも酷いものだった。
【浪人】
駿台校内テスト
[4月第一回] 英語48.2 国語47.7 世界史54.1
[6月第二回] 英語72.9 国語35.5 世界史63.8
[8月第三回] 英語51.6 国語49.9 世界史53.9
[11月第四回] 不戦敗
駿台全国判定模試
[5月第一回] 英語51.4 国語44.8 世界史64.7
[9月第二回] 不戦敗
駿台全国模試
[5月第一回] 英語49.6 国語40.6 世界史63.6
[10月第二回] 英語45.9 国語28.2 世界史64.5
駿台・ベネッセ模試
[9月第一回]
不戦敗
[10月第二回] 英語58.9 国語41.7 世界史68.1
[11月第三回] 英語52.5 国語56.3 世界史67.6
12月大学入試センター試験プレテスト
英語56.7 国語不戦敗 世界史不戦敗
※中央法はE判定以上が出たことはなかった

高尾山にて。左・富永/右・鈴木亮二(一橋・商)共に浪人組
自分なりの受験戦略 
【現役】
早稲田塾に2年の12月頃から通った。まずは自分の好きな科目、世界史を伸ばそうと思ったが、英国とのバランスが崩壊した。
結果、英語の成績は伸びず、おまけに9月に早稲田塾英語科、藤森先生に破門される。(授業の出席率が悪かったのもあったが、決定打は模試をサボったということにある。)破門後、新しく英語の先生を選ぶ気になれず、自分で英語の勉強を始めるが、勉強法を確立できず、圧倒的に世界史に時間を割いてしまい、失脚した。
【浪人】
4月から駿台に通った。正直、戦略といえるようなものはなかった。いつも行き当たりばったりの勉強の仕方で、計画をたてても3日坊主、というか計画をたてたことすら忘れてしまったりした。
サボりたいときにサボって、勉強したいときに勉強した。結果、サボった時間の方が圧倒的に多かった。受験直前期もこういう感じで勉強していた。
〈駿台での生活〉
前期:とりあえず授業を受け、自習室で復習を済ませ、自分のやりたい教科(ほぼ英語)を勉強。前期中に最重要科目といわれる英語をなんとかさせようと、そこそこやった。英文法に関しては現役のころから割とできた方だったので、構文把握に重点を置いた。
夏期講習:前期授業の復習。本番で文法のミスを最小限に抑えることを目標に文法にも力を入れた。英作文の対策に、テキストの例文は全て暗記するよう心がけた。英語ばかりやっていたが、大して伸びず、焦り出す。
後期:特に理由はないがヤル気がなくなって全く予備校へ行かなくなった。かといって家で勉強するわけでもなく、一日中、家でダラダラする生活が2カ月半ほど続いた。
冬期講習~直前期:このあたりから現実を直視し始め、一年間、一体何をやってきたんだ、と後悔しながら、少しは受験生らしくなる。

池袋でイエスの降臨に立ち会った富永。
浪人して気付いたこと 
当たり前すぎるが、やはり受験は英語。現役の時のように世界史だけできてもしょうがないということを実感した。思い返してみると、前期から夏にやっていたこと(英語)が最後まで生きたのかもしれない。
勝因 
運
敗因 
中央大学法学部法律学科
英語の試験中なんか知らないけどテンパった。英文が全然頭に入ってこなかった。得意なはずの文法で全く稼げなかった。
明治大学法学部
投げやりな試験態度だった。世界史はかなり簡単だったが、漢字ミス、問題の読み間違いなどで20点以上落とした。
国語が一番の苦手科目で、古文単語なんかは「あさまし」くらいしか把握していなかったが、その分世界史で稼げばいい、と思っていた。しかし、世界史は前期から放置プレイをしていたので、結局最後の最後まで現役の時のように完成させることができなかった。

神と一体化する富永。
ゆげ塾の活用法 
現役の時、ゆげ塾で通史を終えていたので、自分で復習する気のない現代史や、苦手な範囲をつまんで受講した。授業時間が長いので、まとめて、ある程度の範囲を復習できたのは良かった。午前中で授業が終わる駿台と掛け持ちできたのも都合が良かった。

1期生経験者(浪人組)左から、矢野(上智・独語)/富永(中央法)/松田(日大・法)/鈴木(一橋・法)
他塾・学校の活用法 
【早稲田塾(現役)】
姉が早稲田塾卒で、良い先生を勧めてくれたことは良かったが、言われたことをきちんとやらず、緊張感のない生活を送っていた。
また、早稲田塾は自習室をあまり開けてくれず、家で勉強する選択肢のない僕には、自習室の開放時間が短いというのはナンセンスだった。
校舎がきれいというのも、僕にとってヤル気を刺激する要素とはならなかった。
受験戦略で登場した藤森先生について
とても厳しく、荒々しい女の先生です。授業毎のイディオムテストはとても大変で、合格点に満たないと除名へのカウントダウンが始まったり、最初はついていくのがやっとだった。半年間しか授業を受けなかった自分が、文法に関してはある程度完成させることができたので、やるべきことをやって、逃げずについていけば必ず力はつくはず。藤森先生の授業で使ったプリントは、浪人しても多用した。
【駿台(浪人)】
4月から通った。前期は5クラス中一番下のクラス(早慶上智大文系αコース)で、後期は2番目のクラスに上がった。前期、まだまじめに通っていた頃、友だちがたくさんできた。後期は授業をほとんどサボっていたが、友だちに感化されたりして、また駿台へ行くようになった。友だちの存在は大きかった。
授業に関して
英語:駿台の講師を信じて勉強した。言われたことを信じて、素直にこなした。少しずつではあったが力はついた。
国語:基本的に授業をサボっていたのでよく分からない。
世界史:ゆげ先生とは正反対の講師が多く、自分にはゆげ塾の構造を重視するスタイルが合っていたので授業にはほとんど出なかった。
【学校】
あまり覚えていないが活用できるようなことはなかった。遅刻欠席は多かった。

合宿で疲れた富永。変人だが、いい奴だった。
お薦めの参考書・問題集 
☆duo3.0
覚えやすかった。暇なときにやった。
現役合格のためのイディオム1100PART2:早稲田塾出版のイディオム集。やや細かいが極めれば最強になれる。浪人生にも役立った。
これからの大学生活への想い 
とりあえず、ちゃんとした生活を送りたい。

1期生経験者・男子左から 富永(浪・中央・法)/郷坪(現・筑波)/鈴木(浪・一橋・商)/山西(浪・慶應・経済)/月尾(現・慶應・経済)
女子左から 矢野(浪・上智・独語)/松田(浪・日大・法)/亀井(現・明学・国際)
さいごに 
こんな受験態度でよく受かったなと心底思う。自分より何倍も真面目な人が全落ちしていたりする。受験は残酷。
最後まで諦めるな、とかいっておわりたいところだが、最後まで全然諦めていた自分には説得力がないのでやめておく。
※忙しい時間を割いて渾身の体験記を書いてくれた富永くんには大変申し訳ありませんが、本人の承諾を得た上で、文章の一部を削ったり、表現の一部をオブラートで包んだ言い方に替えさせていただきました。
本当はもっと生々しく、息をのむようなすばらしい文章だったのですが、大人の事情です…。
富永君にも、このページを読んでいるあなたにも、お詫び申し上げます。
2010年3月7日時点での記録です。 |