紛失したので8月ごろのMAX値しか覚えていません…
英語:65 国語:65 世界史:71 (全て河合)
高3の5月ごろはどの教科も60いってなかったです。
早稲田政経は常にE、8月ごろで早稲田文化構想・教育がD、MARCHもCかDでした。
左:樋口早稲田(商)合格 右:紺野早稲田(政経)合格
二人とも2年からの入塾で、向上心がとても強かった。

受験戦略 ~勉強する環境を整えるまで~
早稲田政経を志したのは中学2年生のときでした。
中学受験でお世話になった恩師が、早稲田政経の出身だった影響です。
通っていた中高が獨協大学の付属だったので、母はそのまま獨大に行かせたかったようでしたが、自分は早稲田に行きたかった。高校に入ってからも他大受験を賛成してもらえそうになかったので、受験料や予備校代を自分で稼ごうと高1の4月から高2の夏前までアルバイトをしていました。
ゆげ塾と栄光会の安い授業料のおかげで、拓殖大の賞金10万円と貯金とお小遣いで、払いきることができました。ゆげ塾の授業料の安さには本当に感謝しています!

ゆげ塾の活用法
在籍期間:高2の8月~現在
うちの高校は、早慶合格者が毎年それぞれ一人ぐらいしか出ません。
その卒業生に早稲田・国際教養の先輩がいらっしゃって、その先輩の紹介で入塾しました。
一番の決め手は、やはり授業料の安さ(笑)
もともと世界史は好きでしたが、ゆげ先生の授業でもっと世界史が好きになりました!
構造から教える授業は非常に論理的で明快で、とくに世界恐慌あたりの授業は神です。
高3の4月には通史1周が終わり、過去問演習の授業に移りました。
世界史の知識は、小論文を書く上でも、新聞を読む上でも、非常に役立ちます。

他塾の活用法
○英語:栄光会(御茶ノ水校)中原一機先生 在籍期間:高2の10月~高3の10月
「課題も多くスパルタだけど面倒見が良い」という評判に魅かれ、先輩(上智大)からの紹介で入塾しました。
「毎週ある単語・熟語・授業復習の小テストで、点数が悪かったら塾を辞めさせる」という初回授業での講師の言葉にめちゃめちゃビビり、必死で勉強しました。そのおかげで苦手だった英語が伸び、長文が楽しく読めるようになりました。
栄光会の英語は「長文を読めるようにする」ことが目的です。SVOなど5文型の基礎からスタートしますが、この文型をしっかり自分のものにすることが英語長文を読むために一番大切だと実感しています!
授業だけではなく、勉強法や、どの参考書を使うべきかまで教えてくれて、信頼できる予備校です。栄光会の先生の言葉どおり忠実に勉強すれば、英語はなんとかなります!
○国語(現古漢)、小論・AO対策:K先生 在籍期間:高3の4月~11月
(※小論・AO対策は別の場で詳しく。一般試験の国語の話をします。)
K先生の授業は、早稲田を主として、東大・一橋、MARCHの過去問もひたすら解きまくる授業でした。授業内容は、その場で解く→すぐに解説→また解く→解説………で、論理的5割・入試テクニック2割・知識2割・その他1割という感じでした。
古文単語の暗記も必要最低限で済み、早稲田に特化した入試テクニック(解く順番や、注意ポイント)も役に立ちました。「日本語のリハビリ」をし続けたおかげで、現代文だけではなく、小論文を書く際にも語彙数が増えました。
○小論文:Z会(御茶ノ水校) 金子秀一先生 在籍期間:高2の1月~3月
慶応小論文を取っていました。この先生は添削が非常に細かく、熱心に指導してくれました。書き方だけでなく、新聞や新書の抜きだしを参考にして、社会問題のポイント・要点を教えてくれるので、小論に多くの時間を割けない人には良いと思います。

AO対策
① 流れと計画
早稲田政経のAOを受けると決めたのは高1の2学期ごろでした。また、このころは慶応SFCも視野に入れていました。
読売の活動を生かしたかったのですが、それだけではインパクトが弱いと思い、自分が興味を持てて、書類に書ける活動や実績を高3になる前に作ろうと計画しました。
そこで、以前から興味があったパレスチナ問題をより深く理解しようと、高2の夏に日本・イスラエル・パレスチナ学生会議に参加し、その経験を二つの作文コンクールに応募したら、幸運にも両方とも賞をいただくことが出来ました。
一次試験(筆記)重視の早稲田政経AOに100%当てはまるわけではありませんが、AOを受けるならば、なるべく早いうちに志望校を決め、したたかに計算高く高校3年間を過ごすべきだと思います。
②具体的な対策 ~一次試験に向けて~
動き出したのは高2の冬休みから。ちゃんとした小論文を書くことから始めようと思い、Z会御茶ノ水校で慶応小論文の授業を取り、小論文の型(自分の意見・立場を頭に書く、確かに~で譲歩、しかし私は~で主張、まとめに結論を書く)を身につけました。
高3の4月からは、K先生に小論文と活動記録報告書を週1で見てもらいました。
1学期の間はZ会のテキストをもう一度やり直したものと、学校で出された小論文を添削してもらいました。800字~1000字程度の小論を難なく書けるように訓練しました。
私の問題は、日本語で言えば、一文が長いためにSVが呼応しなくなること、内容で言えば、知識の羅列に走ってしまうことでした。何回も何回も厳しく添削してもらい、先生から繰り返し指摘されたことに注意して書けるようになったのは夏になってからでした。
活動記録報告書も10回以上書き直して、なんとか500文字にまとめました。4月からやっていたおかげで、わりと余裕を持って提出できました。3年計画のおかげで、書くことには困らなかったです。
一次試験の過去問を初めて解いたのは、8月に入ってから。とにかく難しい!英語の長文も読み取れない……。あまりに歯が立たなかったので1年分やって放棄。さすがにヤバいと思って本格的にやりはじめたのは、9月からでした。解いた過去問は大体6~7年分です。過去問の入手方法は、どうにかツテをたどって政経AO合格者の方からもらったり、早稲田塾の友達から入手したり。AO全般に言えることですが、情報があまりにも少ない。そのなかで古い過去問を手に入れ、面接の情報を多く得ようと努力したことは、勝因の一つだったと思います。
③一次試験
試験を終わっての感想は、とにかく全力を出し切った!という感じでした。
手ごたえは微妙でした。なぜかというと、傾向が変わったからです。
英語が昨年より難化し、政経の一般試験で出される英語長文より難しく感じました。また、英作文が増え、問題文も全て英語になりました。日本語の試験は易化したと思います。「指定ワードを用いて答えろ」という出題方法は初めてでしたが、それほど難しくは感じませんでした。例年は英語が簡単で日本語が難しいというバランスだったはずが逆転しました。
日本語は分かりませんが、英語は今後も難化すると思います。
④二次試験に向けて
なんとか一次試験に通ることが出来て、ここからは1学科あたり数人しか落とされないので、「ここまで来て落ちられるか!」というプレッシャーが重かったです。
一次の合格発表から二次の面接試験まで2週間あったので、この期間を二つに分けました。
最初の1週間は、自分の考えていることを深く掘り下げる時間でした。「なぜ早稲田か」「なぜ政治経済学部なのか」「なぜ国際政治経済学科なのか」「なぜ明治・東大・慶応じゃないのか」という典型的な志望理由と、「パレスチナ問題に対してあなたはどう思うのか?」「なぜ新聞記者になりたいのか?」「どんな新聞記者になりたいか?」「今のマスメディアの問題点は?」など、自分の経験から聞かれることを予想して、自分なりの答えをノートに書きこみ、また、国際政経に関する新聞の切り抜きを貼り付けるなどして対策をしました。自分で考えるだけでは不安だったので、学校の親しい国語の先生にアイディアをもらうこともしばしばでした。
残りの1週間は、ゆげ先生やK先生、学校の先生、医学部の先輩や推薦で受かった先輩、クラスの友人に協力してもらい、面接の練習をしました。頭で考えることはできても、自分の言葉で分かりやすく説明するとなるとなかなか難しく、練習での会話をテープレコーダーに吹き込んで復習しました。
私の問題点は、最初の1週間で考えすぎたからなのか、会話ではなく、演説になってしまうことでした。聞かれたことに対して、5分ぐらい喋ってしまう。そのくせがなかなか抜けず、「情報を小出しにする、自分の引き出しを少しずつ開ける」ように頭を切り替えられたのは、本番の2日前でした。
⑤二次試験
9時40分集合、約20分間の面接を終えて早稲田を出たのが10時40分ごろ。教授3人と受験生1人の面接でした。
席に着き一番に言われたのは、「私たちは君の良いところが知りたいだけだから、緊張しないでリラックスして答えてください。あと、用意された答えはあんまり聞きたくないので、自分の言葉で話してください」という、意外なものでした。面接は終始和やかで、相当突っ込まれるだろうと恐々としていた私は拍子抜けでした。「以上です」といわれ、扉を閉めてすぐ、「一般の勉強を始めよう…」と思いました。あまりにも突っ込まれなかったので、「教授は自分に興味がないんだ、微妙だ…」と落ち込みました。
聞かれた質問とその答えは以下の通り。
「どうして早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科なんですか?」→(一気に聞かれてどこから答えていいか分からず、黙ってしまったら笑われた。)新聞記者になりたいと思っている私を育ててくれるのは、早稲田しかないと思ったからです
「新聞記者になるのは他大学でもなれるけど、どうして早稲田なの?」→理由はふたつあって、早稲田の『在野精神』という批判的なものの見方が大学全体の授業や雰囲気に影響していて、新聞記者の視点として必要だと思いました。もう一つは、日本全国から集まり、高い知性を持った友人と刺激し合って自分を磨きたかったからです。
「読売ジュニア・プレス(以下YJPと表記)にはどうして入ったの?」→面白そうだったから。新聞記者になりたかったわけではないです。
「YJPに入る前と後では、自分はどう変わったと思う?」→文章の書き方に注意するようになりました。新聞記事で言う前文のような役割を持った段落を、作文では意識して作るようになりました
「どれぐらいの頻度で記事を書いていたの?」→多い月だと3~4本書いていました。
「どうしてイスパレの会議に参加したの?」→この会議を主催したインカレの代表がYJPの先輩で、そのひとに紹介されたからです。
「高校生でパレスチナ問題に興味を持つ人はなかなかいないけど、どうして興味を持ったの?」→カナダにホームステイしたフィリピン人家族が連れて行ってくれた教会で初めて信仰に触れて、宗教に興味を持った。丁度そのころ新聞でパレスチナ問題が取り扱われることが多く、3つの宗教の聖地があるパレスチナの土地で起こっている問題に関心を持つようになったことがきっかけです。
「この会議に参加して、学んだことや成果はありましたか?」→日本人としてのアイデンティティに初めて悩みました。その会議に参加していた大学生に、イスラエル在住のアラブ系クリスチャンの女の子がいて、その子は自分がどの民族・国家に属していいか分からず悩み、自分が日本人であることに疑問を持ったことのない私には衝撃でした。
「さっき成果という質問があったけど、この賞をもらったのは成果じゃないのかな?」→(賞をもらったことをすっかり忘れていた自分は焦った…)あ、それは………(といったら、別の先生が「願書を出す時にコピーを送っているはずだから、私たちはもう知っていると思っているんですよ」的なことを言ってフォローしてくれた)。
「第一志望ですか?」→はい。
「最近読んだ社会科学系の本とその感想は?」→E・サイードの「政治とプロパガンダ」を読みました。世界は複雑だと思いました(←考えてなくてありきたりなことを言った…突っ込まれなくてよかった…)。あと、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」を読みました。企業と労働組合の対立があんなに激しいものとは知りませんでした。
真ん中の先生が進行係で、両脇の先生に「もうよろしいですか?」と確認を入れて、「面接は以上です」と言われ、終了。
面接官の手元には、活動記録報告書と受験生の顔写真とメモ用紙がありました。質問内容から考えて、500字の文章はほぼ読まずに、活動経験の一覧を見て質問をしているようでした。
大学生になったら出来ることの幅も規模も大きくなるだろうし、ゼミにしても、サークルにしても、“何か”を友人たちと共に作り上げる喜びにたくさん触れられるといいな、と思います。
受験を通して、自分がどれだけ人に恵まれているのかを実感しました。夜遅いからと車での送り迎えや、私の健康管理、家事洗濯をしてくれた両親。早稲田を目指して一緒に勉強してきた、向上心の強い友人たち。お守りをくれたり手紙をくれたり、不安がる私を励ましてくれた先輩たち。忙しい時間を割いて私に協力してくれた先生方。